放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

9. 同じ波動を放つ人

①時事ネタ

【逆転の発想、バス座席倒し問題、乗車時に全部倒して対応。】

http://bit.ly/2RD9uEs

前の客が自分の背もたれを倒してきた時のトラブル対策。こんなことせんでも「倒してええか?」「全然ええよ。」

3秒のコミュニケーションで終わるのに。笑

 

②同じ波動を放つ人

正月、十数年ぶりの再会野郎と、しょっちゅう会うのに飽きない野郎と、3人で塚本の「つるまさ」に行きました。

焼肉工房つるまさ 塚本店 - 塚本/焼肉 [食べログ]www.google.co.jp

店主はラグビー好きで明るいおっちゃん。肉はかなり美味いです。

大好きだった仕事を辞めて、起業家として生きる僕。大企業を2つ転職し、隠岐の島に住む久しぶり野郎。好きな仕事を全うし、極めようとするいつもの野郎。背景は異なる3人ですが、3、4時間があっという間の楽しくて仕方のない時でした。

僕にとっての「楽しい」「熱さ」と密に繋がります。深く考え、話し合い、実際に行動へ移す。この作業がとても楽しい。僕は幻想よりリアルを好む、というよりもそこにある人との協調と信頼関係に居心地を感じ、且つ貢献による自己重要感を極端に得るタイプです。(まさにラグビー!笑)だからか、SF映画やお姉ちゃんの店、クラブでパーリーピーポー的な、非現実的要素の高い空間は基本興味がありません。(これは本当に本当です。)今はとにかく仕事が楽しい。だから恋愛する時間など無く、彼女なんて作りたくもないです!!(これは本当に強がりです。)

 

この日集まった3人の話題は、「これからをどう生きるか」について。各自歩んだ過程から、進むべき未来を話し合いました。内容が面白いのは言うまでもありません。しかし話すだけだと夢見て終わり、なので、この日を何かが始まるきっかけにしたいと思います。 

僕は人間の「生き方」について、1人でもよく考えるのですが、そこでしばしば思うことがあります。幸せとはどんな状態か。夢を追うとき?叶えたときか?人には様々な生き方がありますが、実は「欲がない人は幸せなのでは」とふと思う時がある。「どんな人生にしたいか?」の答えが「別にない。」「どうせ無理。」の人です。ストレスフリーでいいなと思います。ストレスは不幸の源です。そしてそのストレスというのは、「現在の自分に不満足な状態」になると出現します。つまり、理想が高ければ、それだけ自分にストレスがかかる。僕は理想が高いです。いつでも「今」に満足できません。何かを達成したらまた何か、すぐに追い求めてしまいます。これは仕方のないことで、生まれつき幸運にもラグビーを通じて,すごい人たちに周りを囲まれて育ち、「自分自信も何かがしたい、自分自身でも何かができる」と馬鹿みたいに思い込みながら、ずっと今まで生きてしまった、20数年の賜物だからです。平凡に暮らすということができない。よって、常にストレスまみれのはずなのです。しかし、以前の職を種類の異なる別のストレスにより辞めた時、僕は精神病になりました。(3.僕が教師を辞めた理由)

 

その時から精神に関して、多くの知識をインプットしました。(せざるを得ません。ほっとけば死ぬので。笑) そこで仕入れた方法の一つに、「夢」という幻想を意識しないという生き方の裏技みたいなのがあります。(数年前大正区の学校にゲストスピーカーで呼ばれた際に、「夢を持ち続けよう!」とか何とかの題材で講演しましたが、その時の内容マチガイデシタ。)

前述のように夢を見すぎると、心が負担に耐えられなくなります。現状と夢があまりにも違う人や、気持ちの強い人ほど、そうなる。程よいバランスが大切です。人は阿頼耶識(アラヤシキ)という領域を持ちます。潜在意識に似たものです。そこに願望を入れ込めさえすれば、人生は願う方向へ向かうのです。だから、強く夢を念じた後は、「今現在」を認識し、現状を認めながら、生きる。夢は幻想世界に過ぎず、幻想に「今の自分」を照らし合わせても、「今の自分」にはできないのだから、できることをやってくしかない。要は、「未来を恐れず、過去に捉われず、今を生きろ」ということですね。(参照:4.損してる人

 

夢を阿頼耶識にねじ込んだ後は、目の前のことをただ積み重ねていく。夢という幻想は今は手に入らないと、ある意味あっさり諦めてしまって、「今」をしっかりと味わい、生きる。あまりにも夢と異なる人生を歩んでしまっている人がいたなら、1歩でも何か始めるべきです。その夢が夢でなくなってしまう前に。「そんなことして肝心な夢が叶わなかったらどうしよう」とか、微塵も思う必要はない。僕たちは今を積み重ねる事しかどうせできやしないのだから、選択は「今できることをやるかやらないか」となる。その時、やって損する訳がない。損どころか無駄にもならない。

 

僕個人に関して言えば、一回死を覚悟してからは、ほぼ何も怖くなくなったので、「何がどうなるかさっぱり分からんが、とりあえずもうどうにでもなれ」と(笑)、そんな感じでチャレンジできてます。こうしてふとやり出したことが、いつか功を奏したなんて、世の中にいくらでもありふれた話だ。僕だってとりあえずやってみたことが、すでに事業化し商売になっている。その時は思いもしなかったけど。「ただただ自己実現したい」と潜在意識で思っていただけだ。もし、何か手をつけた結果、仮に失敗してしまったとしても、元々「どうにでもなれ」と思ってやっているのだから、結局のところどうなってもいいのだ。むしろ時間が過ぎてしまうだけであり、無駄ではなく経験値となる。失敗というより、「成功しないやり方」を身をもって知ることになるだけだ。

 

これは僕個人のスタイルですが、要は学校や教師が教えるような、道徳だとか信念だとか、そんなものはどうでもいいから、とにかくそれぞれの自己実現のために歩み方なんて何でもいいから、何かに向かって生きていくこと。これが根本にありさえすれば、思いもよらないお土産が届く。

それは同じ空気感、同じ匂いを持った仲間です。類は友を呼ぶもので、人は自分と共通する場所に集まり、そこで強い関係を築く。これはこの世で生きるに当たって、ものすごく大切な要素になります。この社会は人間が作っている。石器時代から現代に至るまで、ありとあらゆるものが生まれたが、結局は人間が力を合わせて誰かと作り出してきたものだ。仲間がいれば何か興せるし、助け合い、生き延びることだってできる。人間は本来集団動物で、仲間や同志がいるという感覚は、飯を食うことぐらい大切だ。マズローの5大欲求の中にも、「従属感」というものがある。

 

冒頭出てきた3人を見てみたい。歩んだ人生は全く違う。それでもこうして引き寄せ合っている。互いの潜在意識の中に、何か共通した思想があるからだ。ただ「ラグビーをしていた」の仲じゃない。我々にとってラグビーは、互いを出会わせたツールに過ぎない。別に誰かがサッカー選手でも料理人でも、知り合った時点で、僕らは引き寄せあったのだと思う。それでも、この3人に関しては、ラグビーが出会わせてくれたことは事実だ。だから僕にとってラグビー尊いラグビーがくれた一番の宝は、なんと言っても仲間の存在だ。

 

この世界の万物は、波動を放って存在している。同じように見える固体でも、それぞれが放つ波動は異なり、周波が近いほど、引き合う。俗に言う「引き寄せの法則」の一部だ。つまるところこの3人は、同じ波の中で生きている。これが人間の従属感を満たし、本能的幸福を感じ、人生を豊かなものにする。キャバクラのちゃんねーとは波動が合わない、だから楽しいと感じないのだ。今の僕は「何がしたいか」よりも、波動の相性が優先だ。波動が合えば、喧嘩も楽しい。仲間さえいれば基本楽しい。だから、気の合う仲間同士なら、いつまでも仕事ができるというわけだ。(前の職場で散々やられたから余計そう思うのかもしれませんが。)お金では決して買えない価値だ。ラグビーの神様に感謝しかない。

 

 ③名言集

上の文を書いているとき、この歌詞が頭に浮かんできました。というのも上に登場する「しょっちゅう会う野郎」の車では、この人の曲しか流れてこないので(笑)、おかげでほとんど覚えてしまった。

 

夢に向かって進みだす俺は 周りも見えずに ガムシャラになった 気付けばそこに誰もいなかったが 同じタイプの仲間と出会った」

ケツメイシ 『出会いは成長の糧』)

 

④適当コーナー

今日はいっぱい書いたから、もう指痛い。何も書かない。おやすみなさい。

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