放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

16.運がいい人は波に乗れる人

今日は運についての考えを述べます。

その前に前回イチロー選手引退について触れ、

「ここじゃ書き切れない!」次回も書くぞ!と意気込んでました。

しかし、、、何を書きたかったのか!全く思い出せないので、もういいです。笑

 

1.「宿題ゼロ・遊びこそ学び」世界が注目!フィンランド教育!

僕は教師を辞めてから、必死のパッチで生きていくためにとなんか色々やっていますが、そもそも一番興味のあるのは学校教育についての話しです。以前、Facebookをみていると、少し古い記事ですが、フィンランドの教育事情についての話しが流れてきました。

cocoiro.me

なぜこの話しに注目したかというと、実はフィンランドは学力が世界1位だったんですね。

「子どもはもっと遊ばなければならない。」

「遊びからこそ真の探究心が芽生える。」

「宿題はゼロ。放課後遊ぶ時間が無くなる。」

「受験教育は人生に意味なし。小学校は最高4時間(休憩時間含む)」

共感できることばかりの内容で、素晴らしいな〜と感心してました。

自慢じゃないですが(すいません完全に自慢なんですが)、僕はこのフィンランドにおける教育方針を勉強する以前から、「こんな感じがいいんだろうな〜」とたまたま頭で考えていました!!

もっとも、こんな感じの教育方針で日本で教師をしていた私は、勤め先だった日本の学校からは相当な嫌われ者だったのではないかと思いますが・・・。笑

 

 

2.運がいい人は波に乗れる人

人生は運気が高まるときと、そうでないときがあるということは、ある程度生きてりゃ体験するものです。しかし「運」というものは、目に見える物質的なものではありません。何ともよく分からない概念、そんなものにほとんどの人は、割と真剣に左右されています。

 

まずはそもそも「運」なんてものはあるのか無いのかを考えてみますと、まあそれはどう考えましても、雨風のように降っても来なければ、入学式や卒業式みたいに、「はい、ここから運がいい時間です」的に待っていたら来るものでもありません。

 

それなのに今まで長年にわたって、運がいいだの悪いだの、人々の間では言われ続けてます。訳の分からないグッズが売られ出し、神様神様〜お助けを〜と、目には見えないどこかの何に何を頼んでるのかもわからない奇行を、人々はずーっと繰り返します。

 

もう、こうなってしまった人類に、「運などないのだ!ひたすら歩めぇぇぇ!」など、どっかの国の軍隊じゃあるまいし、今更言っても効くわけありません。

 

しかも結論から言ってしまうと、「運」は、実際にあるんだと思います。

まずもし「運」がなかったら、神も仏もリストラですから。やつらは我々に天罰と運を与えるために存在してるのです。彼彼女らの大切な仕事を、勝手に奪うことはできません。

 

では運とは何かと申し上げますと、それは心の持ちようだそうです。

運を高めたいと思う方がいれば、サーフィンのように、波に乗ることです。

 

(頭がおかしいわけではありませんwww)

 

実際に心というボードを操り、波に乗ることで、運気は増してきます。

 

事実、この世のあらゆる物質は、を放って存在しています。

その波の周波数により、音となったり光になりますね。

 

人間も同様に波動を放ちます。周波が光や音と違うので、目に見えたり聞こえたりしないだけ。実は、人間は22段階の波動を感情で変化させています。

 

怒りの感情は怒りの波動を、楽観的な感情の時は、楽観的な波動を放つのです。(怒りの波動は17番目、楽観的な波動は4番目。)

波長が合う者同士というのは、自分達が放つ波動の波が同じ周波だということですね。

 

運とは心の持ちようと言いました。

波動も心の持ちようなのです。つまり、心=感情の持ちようで、おのずと自ら発する波も変えることができるのです。

 

ではここからが本題です。

 

波長が似たもの同士は引き合い、それと似た波に出会うことになります。

だから、簡単なことなのです。

ええ感じの周波を放てば、ええ感じのものに出会うんやぁ!

自分が理想とする状態、その感情をキープさえすれば。。

(↑感情コントロールの方法はまたいつか書こうと思います。)

 

 

先ほど、人の感情周波には22の段階があると言いました。

その頂点が、「愛と感謝」です。

 

神や仏はなぜいるのでしょう?

我々は彼らに何をしますか?

胸の前で手を合わせますね。その時、どんな感情でいますか?

 

お祈りは願うだけではだめです。

誰だって、くれくれちゃんには何もくれません。

こちらが感謝し、与えるからこそ、何かを返してくれると思うのです。

それは神様仏様も同じ。先祖や日々の生活に感謝し、お守り頂いていることに感謝し、我々はお供え物をします。パンや葡萄酒、お米、さい銭。

 

知らず知らずのうちに我々は、先ず感謝を述べているのです。それを理解して祈るかどうかで、効果は全く変わってくるでしょう。

求める感情ばかりで祈っても、効果は最大限ではありません。

(「希望」の感情は6番目、「期待」は4番目の波動です。)

 

先ほども申し上げました通り、愛と感謝こそ究極の波動です。これらは感情周波の中で頂点に立つ波動を放ちます。つまり、「良い波動を自ら放たせ、他の良い波動と引き合わせよう。」と、こんな具合に仕向けてくれてます。

神様仏様は我々に、我々の持つ「良い波」を、自然と引き出してくださっているのです。

 

現に、お墓や仏壇を見ると、そこには先祖や仏様がおられて、が添えられていると思います。 しかし、よくよく考えてみると、花はその方々とは逆側、拝む我々の方を向いています。先祖や仏様から見たら、花の裏側しか見えないはずです。

もし、彼らを敬うのなら、花は向こう向きにしなければなりません。

 

これは、つまり拝む側、我々の心にこそ極楽があるんだと、そういう意味が込められているそうです。「拝んでいるあなたの心は、今とっても素敵だよ。」と、

愛と感謝に染まりきりながら、最高レベルの波動を放った、我々の心を祝しているようです。

 

だから、「運」を引き出せるかどうかは、自らの心で左右されるのです。自らの感情周波を操り、気持ちの良い波動を放ち、その波に乗ることが肝心です。

そんな心のコントロールの後押しをしてくれている存在、それが、神様仏様であり、開運なんちゃら、というわけなのでしょう。

 

人はイラッとしてしまうときも、悲しんでしまうときもありますが、その状態ではとてもではないけれど、良い波動は放たれてはいません。(怒りは17、悲しみは22番目の波動です。)

 

できるだけ自身を良い波に乗せ、どこかの良い波と巡り合わせるのが、「運が良くなる」秘訣なんだそうです。

 

3.名言こ〜な〜

 

「人間は楽しんでいるとき、最高の力を発揮する」

本田技研工業(HONDA)創始者本田宗一郎

 

楽しむことでポジティブになれ、幸福感と情熱を持ちながら、エネルギッシュに行動できる。

ポジティブは4番、幸福は3番、情熱は2番、エネルギッシュな活力は、愛と感謝と同じく1番高い感情の波動です。

それらの感情をすべて引き出す、「楽しむ」という行為は本当に大事です。

楽しむだけでこれだけの良い感情の波動があふれ出るわけです。良い波動は良い波動と引き合う。そりゃ、力も発揮されますね!たのしんでいこ〜〜〜

 

4.適当雑談

 

春になりました。

桜を見ると、「過去の自分の春」を数年分思い返してしまいます。

あの年の春はこうだった、あの年はあんなことをしていたなあ。

 

日本は四季がわかりやすいので、それぞれの季節で特別な思い出がありますが、僕にはなぜか春の桜の思い出がやたら多い気がします。(キモ)

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