放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

15. 「ある」世界の人

前回「ない」世界の人を書いたので、“次は「ある」世界の人を書いたらいいからすぐ書けるなー”と思ってたら約2週間経った。2、3週間に更新1回ってどんなブログやねんと。

 

1.ニュースを読むコーナー

どんどん名前が変化している各項目のコーナーですが、その辺は適当に行きましょー。名前なんかどうでもいいよー。笑 

今回注目したニュースは・・・

やっぱりイチロー選手の引退ですよねー。

会見、全部聞きました。

昔からイチロー選手を見ると、一言一言をこだわって話していて、行動、言葉、全てに意味を持って生活しているんだなあ、と読み取れますよね。会見中も度々「僕、変なこと言ってます?」って記者に聞き返していたあたり、普通の人とは違う思考回路であることが推測されます。違いすぎて、誤解される部分もあるからこそ、「間違ってます?」って聞き返すんだろうかな。笑 それでも、流されず、信念を持って今までプレーされてきたメンタル、本当にリスペクトしまくりです。

スポーツは違えど人として憧れがあって、到底及ばないけれど、改めて「これぐらいの意識を持って生きていかなきゃなー」と思わされました。また、僕のように人を感化し、これだけの人に憧れられ、影響を与える人はすごい。。スポーツの力って偉大ですよね。真のスポーツ選手の姿を体現されたんだと思います。僕は高校入試の論文でイチロー選手のことを書くほどイチロー選手が大好きなので、彼について話し出すと止まらないのでこの辺りにします!笑

次回またイチロー選手に触れていきたいと思います!

 

 

2.「ある」世界の人

前回、人の世界観というのは、「ある」世界と「ない」世界に分けられている。(かもしれない)

と紹介しました。

 

要は自分への信頼が、ある状態で生きているのか、そうでないのか、と言うことです。

「ない」状態で生きている人は、どうにかして自分への信頼を、他者から勝ち取ろうとする。その結果、他人からの評価を気にして生きるということに繋がり、自らの心の声は聞けないまま生きる。

「こんなことやっていいのかな。」

「こんなことしたらどう思われるだろう。」

こんな具合に自分を縛って、やりたいことをできないままでいる。言いたいことも我慢して生きる。また、

「これをやったら評価されるだろう。」

「これはダサいから辞めておこう。」

と、本来の自分の姿を隠し、他人の心の中で生きている。強がったり、格好つけたりなんかして、自分を大きくみせることもある。

 

また、他人に対しても同様で、「他者は立派な自分しか評価してくれない」と思い込み、他者が持つ「人への無償の愛」も、自ら失わせようとしている。「ない」世界にいる人は、自分と他人を信頼していない。と、そんなことを書いたと思います。

 

僕も去年までそうでした。育ちの過程でそうなってしまった。これは言い訳なのかもしれない。しかし、結果的には自分への自信を保つことができないでいた。

 

教師を辞めて病みに病んだ時、今までそうやって他者から勝ち取っていた(と思い込んでいた)、自分への信頼が崩壊し、もうどうでもよくなった。それが不幸中の幸いとなり、他者の目が気にならなくなった。

落ちるとこまで落ちてしまったから、今更自分を利口に見せようとも、良い部分が1つもないから(笑)、「だったらもうどうでもいいわ」と、そう思えるようになったのです。

僕は、「ある」世界の住宅に勝手に住み込む形となった。

 

しかし、現実では0の自分に、ただただ1を足す作業が続く。その過程で大切なのは、ダサくて弱い今の自分を、どこまで好きでいられるか。こんな自分でもいいんだと、他者の目線をそっちのけにして、目の前のことに没頭し、ただただがむしゃらに生きていけるか。

 

自分への信頼が「ない」世界にいた、今までの自分には至難の技だった。

「僕は弱い。」そして、「助けてほしい。」

こんなこと、真剣な場では誰かに言ったことがなかった。

 

「ない」世界にいた僕は、自分に信頼が「ない」状態だったから、なんとか信頼を勝ち得ようとして、他者から評価されようとしていた。つまり、その結果自分を強がってみせていたのだ。それが癖となり、当たり前だった。なんと息苦しい青年だったろう。笑

僕の一番の弱点は、「人を頼ることができない」だった。

 

しかし、去年だ。

強く生きてきたつもりの自分が、強がるどころか何もできなくなり、もう自分1人では、立ち直ることができなくなった時、僕は初めて「どうか助けて」と、情けなくも他者を頼った。

 

他者を信じ、自分を認めた。弱く苦しむ自分の姿を、強がりの自分が容認したのだ。つまり「ある」世界に飛び込んだわけである。

どう思われようと、生きるのが先だ。自分を生かすのに精一杯だった。迷惑をかけ続け、心配をかけ続け、「こんな自分はどうなるんだろう。」そんなことを思っていた時、なんと他者は優しかったのだ。

 

「じゃあ一緒に頑張ってみようか。」

と、手を差し伸べてくれる人もいた。ケツメイシの「仲間」じゃないけれど、「楽しい時だけが仲間じゃない」と、ラグビー以外では初めての体験だった。

 

そして今は、過去を経験し、痛みを知ってしまったからこそ、何をすれば痛むのかがわかる。

自分もそうだし、他人へもそうだ。

痛がっている人の気持ちも、これから痛み出しそうな状態も、もしかすれば何か一言かけてやることができるかもしれない。

 

順風満帆だった自分には、決して見えなかった景色が見える。

自分の弱さを認め出した後、他者の弱さも認めることができ、自分の中のダイバーシティが実に大きくに広まった。「ない」世界では測ることのできない、広大な世界が、「ある」世界だった。

 

3.名言特集〜

痛々しいほど名前が変わる、今日の名言コーナーです。笑

「人ひとりが幸せになるか、不幸になるかは、そばにいる人のちょっとした、優しい言葉だったりすると思う。」(尾崎豊)

 

出ましたー。僕の大好きな豊尾崎です!

この言葉、体験してなお沁みました。

 

4.適当コーーーナーー

愛車が点検で引き取られました泣

お知り合いの車屋さんに特割でやってもらえる分、少し期間が長いということで。

しばらく代車生活ですーー。

普段乗らない形の車で、小回りは効いていいこともありますが、やっぱり好きな車に乗ってたい!早く戻ってきてよねーん。

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