放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

11. 批判的な人(高校のプチ同窓会にて)

最近また寒いですね。。

①時事ネタ

②日常の出来事(批判的な人:同窓会で受けた衝撃)

③名言

④適当コーナー

今日もこんなかんじで進めてまいります。

 

①時事ネタ

町田市の高校で生徒が教師を挑発し、体罰問題へ発展。教師に対し同情の声も。高校教員の体罰動画が出回り教員に同情する声も - Togetter

 

このニュースで注目したいのは、「教育界への世論を変えようとしている?」ということです。メディアは人々の心理を揺さぶります。少し前までは、「体罰は絶対的にダメ」と、断固拒絶していた印象です。それで今まで評価されてきた先生も、次々に問題視されてきました。たしかに体罰はしてはいけない。手を出さなくても生徒は変わる。僕も教師時代そう思っていました。

 

しかし今回のニュースでは、あれだけ世間が拒絶していた教師の体罰に対し、テレビでもネットでも、「教師批判」ばかりの報道ではない気がします。少し前に「絶対禁止、教師が全面的に悪い。」と報道されていた時代を経て、先生の立場というのは、体罰の有無関係なしに弱くなりつつありました。教師が絶対の時代ではなくなった。それは良いことだと思いましたが、生徒がそれを逆手にとって、教育現場がギスギスしている、これは良くないことでした。メディアの今回の動きによって、もしかしたら教育現場の状況がまた少し変わりつつある?のかも。体罰の横行は反対ですが、「先生は手を出してこない。自分たちより弱い存在だ」と、生徒や保護者が調子に乗りすぎる、そういう状況も絶対に良くない。学校の教育体制の是非は、これからも難しい問題だと思います。

 

②批判的な人(同窓会で受けた衝撃)

以前、高校の友人たちと忘年会を開催しました。僕の高校は中学が付属で、ほとんどが私立の中等部から上がる人。公立中学出身で、高校から入学するのは、僕を含めて数人しかいません。なぜなら、入るのがすごく難しい。頭もいるし、スポーツなんかの実績も半端なく必要だからです。もう一度言います。頭もいるし・・・。 (僕はスポーツ点数満点だから入れただけなので、頭は断トツでべべでした。笑)

 

そんな彼らと僕の価値観は、入学当初から全く違う。これは育ってきた環境の違いで、僕は公立出身なので、周りの友達には様々な人がいた。頭のいい人、やんちゃくれな人・・・。

僕はそんな環境にいたことが、本当に良かったと思っています。多少なりとも、多様性を受け入れられる心を養うことができたからです。

 

ところが彼らの中の一部の人には、違和感を感じてしまわざるを得ません。自分たちとは違う性格を、どこか批判的に見る傾向を感じます。

 

その忘年会でも確かにありました。仲間の一人が僕に言いました。「常識的な生き方ではない。」「なんか悪い印象しかない。」「人生やり直した方がいいよ!笑」

 

彼らは大学を出てから今まで、大きな会社で頑張って、ずっとサラリーマンをしています。それが彼らの当たり前なのです。僕はと言うとご存知かもしれませんが、教師を辞めてからやっけになって、「もうなんでもやってやれ」精神です。笑  今は1人の会社員であり、別で会社を経営し、個人事業主でもあり、これから飲食店経営もします。確かに生き方と言う意味では、全く違うと言えると思います。

 

久しぶりに会ったせいなのか、余計衝撃的でした。笑 「おぉ!人間の価値観というのはここまで違うもんなのか。」と。僕は人間を観察的に見る癖があるので、そういうのは面白く感じます。

 

彼の生き方を責める気は全くありません。受けてきた教育、環境が違うので性格や生き方は違って当たり前です。

しかし彼が何気なく言った批判的な一言、それは本音だったのでしょう。彼の言う常識からは、僕は外れた人間みたいです。(まあ、高校時代からずっとそんな目で見られてますが。笑)

 

彼らはずっと私立で育ち、友達もみんな同じ顔ぶれ。大学まで付属で同じです。(厳密に言うと付属じゃないですが)

偏差値で決められた学校ですから、家柄や学力も似ているのでしょう。少し変な言い方ですが、脳みその中が凝り固まるのも、仕方ないといえば仕方ないわけです。

 

もちろん全員じゃないですが、少なくともさっきの彼には、多様性に触れる機会が余りにもなかったんだと思います。

特に彼は自分の考えを強く貫く性格なので、自分と異なる人間を、容易に受け入れようとはしません。彼は確かにその考えで、ラグビーでも実績も上げました。巷では有名選手なわけです。しかし、他者を批判することは、正しい考えとは僕は思いません。せめて放っておいてくれたらいいのに。それに、どっちかというと僕の生き方は、一旦社会から離脱したことで、ただただ生き抜くための必死のパッチに過ぎないのですが。。笑

 

ここで言いたいことはというと、「どっちがいいか悪いか」ではなくて、お互いの人生を応援しあえる世の中になれば、もっといいのになと。

いかんせん、彼には真っ向から馬鹿にされるので。笑  テンション下がるとかではなくて、会話にならないので面白くないです。そこには学び合いが一切生まれない。

 

個人の意思と多様性のバランスは、人生を進める上で大切な要素になると思います。意固地になっても視野が狭いし、受け入れ過ぎても個性がなくなる。難しい点ではありますが、批判するのはいいとは言えません。その人にはその人なりに歩んできた背景があるし、何度も言いますが育った環境、様々な事情で人は変わるのです。

 

もしかしたら、簡単に人に迷惑をかけてしまう、怒りんぼうの人がいたとしても、その人にはそれなりの事情ってやつがあるのかもしれません。そこで批判などすれば、言い合いになる他ありません。批判では他者を変えられないのです。人に接するどんなシーンでも、一瞬だけでも思いやりを思って、受け入れ合う仲を築きたいものです。

 

③名言

 

「みんなが愛を持って生きれば、この世の中はもっと良くなる。」(尾崎豊)

 

僕が大好きな尾崎豊です!

生前は「反社会的」と、色々な罵声も浴びせられました。しかし彼は生涯で、何かを伝えたかったのです。

それは、「高度成長期にあった当時では、サラリーマンが当たり前。人々の生き方は政府が強いる教育によって、あたかも強要されたかのような、少し息苦しい時代」だった日本で、自分を含めて「自由」を欲する人々の叫び、のようでした。(僕はその頃産まれてもないですが。笑)

自由を求めてなぜ悪い?普通でなければいけないと言うのか?なぜ批判されなければいけない?みんなが認め合い、助け合う。愛し合える世の中を、彼は望んでいたんだと思います。

 

④適当コ〜ナ〜

今日もとっても長く書いたので(笑)、短くまとめようと思います。

 

納車した車、よく走る!

毎日サイコー↑の気分です。

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以上。