放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

14.「ない」世界の人

3日に一度の更新を目指し、意気揚々と始めたこのブログです。

ほぼ3週間に一度のペースです。笑 

何か動き出すと次々と物事が進むもの。このブログをやり始めた頃から、一週間ずつ忙しくなってます。。自分としては、ごっつええ感じ

もうちょい更新頻度高めます!(泣)

 

1.時事ニュース

forbesjapan.com

この記事で注目したいのは、共同経営者がいるメリットとしてあげられている要素が、「仕事の能力」ではなくて、「精神的支柱」という部分にあること。人の営みはいつも、精神の関わり合いが根本にある。たまたまだけど僕も現在全く種類の異なる事業をいくつか経営・運営しているが、ほとんどが共同経営を選んだ。スピード感は確かに落ちるが、同じ志を持った仲間が誰かいることによって、1人ではやっていけなかったであろう困難も乗り切ることができた。共同経営の最大の魅力だ。

また、これもたまたまだけれど、昔から思っていたことがある。

「何をするか」ではなくて、「誰とするか」が大切だということ。

昨今の世の中に僕が感じるのは、他者との関わりに金銭面や時間に対しての損得勘定する人がすごく多いということ。もっと心の損得勘定もする人が増えればいいのになと思う。

 

2.「ない」世界の人

人の生き方や性格について、昔からごちゃごちゃ考えるのが好き。「この人は何を思っているんだろう。」昔から考える癖がある。

 

昔おかしな人たちを見た。おそらくその辺りからだろう。

彼ら彼女らは教師をやっていて、どうも納得のいかないことでガミガミ怒る変な奴らだった。よくわからない基準で怒鳴られた。子供の頃から何が正解で、何が悪いと思われるのか、そんなことに悩むようになった。

 

後に彼らとは別の考え、リベラル的な考えを持つ1人の恩師に出会わなければ、僕は教師にはならなかっただろう。恩師は僕に「自由にしたらいい」と優しく解き放ってくれた。その時、どこか開放的になり、確かに力を発揮することができた。自由な世界は居心地が良かった。将来、生き方に迷う誰かに、同じように声をかけたいと思った。

 

しかし恩師の元を離れた世界では、また前述の考えを持つ人たちに揉まれてしまった。あまりにもそんな人が多いので、それが当たり前なのかと思った。もっと自分が強かったらと思う。流されないですんだというのに・・・。

「常識」だとか、「一般的」という言葉に縛り付けられた気がした。中学卒業後の僕は、自由に生きることはなくなった。

 

親の影響も少なからずあった。

有名人だった父親の影響で、どうしても周囲の目が気になった。「いい子」でいなければならないと思った。高校、大学も父と同じで、期待を裏切ってはいけないと思った。気づけば「他人の心の中」で生きていた。

そうやって自分を縛り付けてしまった。だから、昔から俗に言う「自由人」、金髪にしたりピアスをしたり、夜中まで遊んだりしてそうな人に、憧れとともに疑問を抱いた。

僕は親と肩組んだことも、対等に喋ったこともなければ、学生時代は彼女を実家に連れていくこともなかった。そんなことをしたら周囲がどう思うだろうと、自分以外の人の心をまず優先する生き方をしていた。そして、「自由な人たちはどうしてできるんだろう。なぜ自分はできないんだろう。」そんなことを約20年、ずっとずっと考えていた。

 

なんて息苦しい奴だったんだろう。

それが当たり前だったから、大人になってそんなことに気づいた。

自分への向上心はある。豊かな人生を送りたいと思う。だからこそどういった生き方が正しいか、毎日のように悩みながら生きた。納得できないまま従うことはしたくなかった。一方で、自分の心の向くままに生きるのか、周囲を気にしていい子で生きるのか。それの正誤だけは見つからなかった。

 

一冊の本にヒントがあった。

「ある」世界と「ない」世界。人が生きる世界は二種類に分けられる。

どうやら僕は「ない」側の人だった。

 

なにがあって、なにがないのか。

一言で言えば、「信用」だという。

「自分や他人に対する信用」

これがあるのか、ないのかというわけだ。つまり僕にはなかったことになる。

 

昔から期待をかけられて育った。他者からの評価を気にし始めた。

「まだまだできる。勝たなければならないよ。」そう言われて続けて育って、「頑張らなければ認めてもらえない。」そう思うようになっていた。気づけば自分への信頼基準を、他人に依存していたということである。

自分の価値は他人が決める。だから頑張らなければならない。大げさに言えば、「誰かから褒めてもらわなければ、自分など価値のない人間だ。」そうやって自分への信頼を捨てた。

 

言い方を変えれば、他者のことも信頼していないことになる。

「何か良い行動をしなければ、人は自分を好いてはくれない。」

そうやって他者の心に対する信頼も勝手に捨てていた。

 

思い返せば、その僕の考えは間違いであることがわかる。証拠に、めちゃくちゃ失礼な後輩だって、ミスばっかする仕事仲間だって、不良やちっとも面白くない不細工な同級生だって、僕はみんなのことが好きでいているし、みんなも僕以外の誰かから、少なからず愛されている。つまり、そこまで完璧主義者でなくても、この世界では誰かが友達でいてくれるはずなのだ。そんなことに、気づかないでいた。

 

そんな自分のコンプレックスを、他人に味わって欲しくはない。自由に、心の声に従って、いきいきと生きる人が増えて欲しい。

実は教師をやっていたときは、そんな気持ちで取り組んでいた。

自分が縛られていた世の中に対してのある種の反逆でもあったかもしれない。

 

 

それでも根本的に「ない」世界の僕は、自分を変えることはできないままでいた。

生徒には、「人生は自由だ、君のままでいい、良さも悪さも君の個性だ!」なんて、粋がってでっかい言葉をかけていたものの、いざ自分自身がそれをしようとすると、中々勇気がいるものだった。「ある」世界に生きると言うことは、即ち自分を信頼し、他者からの目を一切気にせず、自分本位で生きると言うこと。

いざ他者に「いい子」だと思われてきた、「ない」世界で積み上げた道を、一歩踏み外すのが怖くなる。(単なる幻想に過ぎないんだけど。)

「ない」世界から「ある」世界へは自分だけでは行けなかったと思う。

 

そんなこんなで事件は起きた。

一年前のことだった。

それは「不幸中の幸い」的な現象で突如訪れた。

大好きだった教師の仕事を辞めなければならなくなったことだ。(詳細は第3回を参照)3. 僕が教師を辞めた理由 - 放課後の純喫茶

どうしても周囲に迷惑をかけて、両親にも死ぬほど迷惑をかけて、落ちるところまで落ち込んで、もう自分も死のうと思った。

 

すなわち、今まで「ない」世界に生きて、周囲の期待に反しない人生をガチガチに歩んできた自分にとって、正反対の現実が目の前に突然現れたわけである。

 

そうして多くの信頼と期待、これまで積み重ねてきた実績を失った。要は必然的に「ない」世界から解き放たれることになったのである。

死ぬことを一旦辞めたとき、これからの人生を深く考えた。「自分はどう生きるべきなのか。」

そこで、「今更どう思われてもいいわ。」と、少々諦めに似た考えも相まって、「ある」世界で生きてみようかと。

すると周囲の目が気にならなくなった。中学時代の記憶が蘇る。徐々に心が解きほぐされていく。「大好きな仕事を失ったんだから、もう好きなように生きよう。」

そう思えるようになったら、僕はとてもわがままになった。一方で心に従えるようになった。

人のことを考えないようになったことに付随して、ストレスも溜まりにくくなってきた。そういう仕組みで生きているんだけど。13.アホな人 - 放課後の純喫茶)を参照

元々向上心はあったから、体が動けばどこへでも行ける。

 

昔から「自分には何かができる」と思っている。 まさに中二病なんだが。

でも僕は悪くない考えだと思う。そもそもそう思えなければ、行動できないし結果も出ないし、何よりも自分を信頼していない

 

 それでも、「ない」世界で生きていたうちは、結果を出すのは不可能だったと思う。

まず「他人の心の中」で生きている限り、自分自身の本性の力は発揮できないわけだから、結果も満足いくものにはならない。

これからは「ある」世界の人として、楽しんでチャレンジを続けたいと思う。

 

3.名言BOX!!!

「名言コーナー」と呼んだりBOXといったり、まあそこは適当なもんなのですが。。笑

今日の名言はこの人です!

 

「自分が将来どんな人になりたいかが重要だ。今までどんな人であったかは関係ない。過去は忘れよう。意識的にどんな人になりたいか決断しよう。そして、その人になるために行動しよう。」

自己啓発作家:アンソニー・ロビンズ『一瞬で自分の夢を実現する法』)

 

自分が中学?高校?ぐらいの時に読んでいた本です。心理学の創設者と共にコーチという職業を築いた有名な方です。彼の言葉通り生きようとすれば、「ある」世界に生きざるを得ない、ということになるのでしょうか??

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4.適当コーナー

 

書きすぎたのでもう書きません。。