放課後の純喫茶

学校で話し足りなかったあれこれ。

3. 僕が教師を辞めた理由

おはようございます、AM10:00です。事務所は暇です。儲かってまへんな〜笑

今日も1.初投稿 の通り①〜④で進めて行きます。

 

①豚の体内で人の膵臓(すいぞう)が作れるらしい。

mainichi.jp

現在僕がしている仕事のうち、医療に関しては「人工血管」や、「組紐技術で作るステント」ぐらいしか身近に関わることがないので、細胞がどうのこうのって話しは。全くわからないんですが、、、。

どうやら豚の体内は他の動物より、人の臓器を培養するのに適した環境みたいです。

臓器を作るのに適した環境って何やねん。

しかも今回、膵臓っていう、難しい臓器を培養できるようになったのは、すごい話しなんだそうです。実は僕も以前の職場(学校)で受けたストレスで膵臓が弱って、一生お酒が飲めない人間になっちまってるんですが、今回の話しが現実化すると、僕の膵臓も復活するかも?!笑 一方、医療分野では、実験に成功しても、実際に「じゃあ人に手術してみよう」となるには様々な許可が降りないと難しいので、首を長くして待つことにします。・・・生きてるうちに現実化するのかな?

 

②僕が教師を辞めた理由

プロフィールにもあるように、天職や!と思っていた教師の仕事を、今年3月に辞めました。一番の原因は人間関係です。あまりにも職場の人間と合いませんでした。先に説明させて頂くと、「うまく付き合えないお前が悪い」とか、「協調性がない」だとか、「下っ端は我慢しなあかんやろ」だとか、そんなレベルの話しではなかったです。笑 パワハラ・ブラック・働き方改革、、、色々他の会社さんでも問題視されていることがありますが、簡単に言うとそれらを全部ひっくるめてギュッとしたような環境でした。笑 

 

「他の人だって頑張ってるじゃないか!」と怒らはる方もおられるでしょうが、やっている業務内容、置かれた状況はまるで異なるものでした。さらに、業務内容だけなら僕が根性?出せば何とかできますが、一番こじれたのは人間や組織との関係の問題だったので、当時の僕のしょぼい能力ではどうすることもできませんでした。それはまあ、大げさじゃなく。文字に打てないよう出来事が多々ありまして、、、。

 

つまり、よくあるモンスターペアレント問題とか、やんちゃな生徒が大変だったとか、そんなことは一切無かったです。僕みたいなケースはかなり珍しいタイプだと思います。「どうにかせなあきまへん!」と、ぐるぐる思考を巡らせたわけですが、こればっかりは正直無理でした。ところが生徒がそこにいるわけで、これを放っておくわけにはいきません。教師になった意味がなくなってしまいます。笑 

 

正義感と行動と、それを支えるメンタルケアをあらゆる方法を駆使しながらも、どうにかやっていたつもりなんですが、徐々に負担が膵(すい)臓にきました。あっけなく入院することになり、2、3日で治ると思いきや。いやいや、、、舐たらあきませんな、膵臓。。そこから精神が崩れ始めまして、最後はドクターストップでした。体は本当に正直者です。だから極度に「我慢」をしたりして、自分の心に嘘をついていると、正直な体は悲鳴を上げます。その後は数ヶ月闘病しながらも、あくまで復帰を望んでいました。

 

学校とか他の人達とはもう、生理的にごめんなさいだけど、残してきた子ども達のことを思うと、死んでも辞めれないと思ったわけです。学校の組織体制を考えてみたときに、代わりができる人は誰もいないと思っていたので、絶対に復帰する気しかありませんでした。ドクターや弁護士の先生といった、第三者目線の方々にも相談しながら、あらゆる形で、学校側へ職場環境の改善を訴えました。しかしまあ、、ほぼ聞き入れられません。もう絶賛人間不信です。

 

最後はドクターストップがかかりました。「医者としてそこへは復帰させられない。」←こんなこと言われる職場ってあります?笑

裁判を起こすと子ども達の活動に制限がかかってしまうので、悩みましたが訴訟を起こすのは自分の判断で辞めました。(周りは訴える準備をしてました。)最後は僕も心がだめになり、暗闇に隠れ込みました。夜中に何度も河川敷に行きました。「子ども達を裏切って辞める。それなら死んだ方がいい」と。それでも、鉄橋の上に行くと思うんです。「ちょっと低いな。死なへんのちゃうか?」と。笑 正直、死ねなかったら意味がありません。(怪我で終わったら痛いだけですやん。)

 

そんなこんなを考えているような、人生の奈落の底にいてたわけですが、様々な体験、経験を経て、今はこうして復活しています。辞めた後の生徒、保護者への事情説明は今も続いています。当初説明責任を果たそうと、保護者に合わせて欲しいと願い出ましたが、学校から拒否されていました。それ以降、長らく僕が塞ぎ込んでいたので、説明責任は果たせることのないまま時間が過ぎていきました。しかし、学校は真実を明らかにはしませんからね。自分の口で説明したいと、今更ですが挨拶回りです。

 

非常に心苦しい活動です。しかしその度に、人の温かさを実感しています。子ども達のことは今でも気になります。辞めてしまったのは事実です。体が壊れたのは僕のせい。なので、罪悪感はずっと消えません。少しでも報えたらと思い、協力してもらいながら前に進めています。そんな、辞めた後のああだこうだは、ぼちぼち書いて行ければと思います〜!

 

③気になる言葉

「人生の点と点は繋がっている。」(アップル創業者 スティーブ・ジョブズ

 

・・・ベタすぎますかね。笑

でも、この言葉を聞いた当初(5年ぐらい前?)と今では、感じることがまるで違います。当時はほとんどが「始まり」の点からスタートしていたわけですが、今回僕の場合、「終わり」の点にいます。既にあらゆる「始まり」を生みつつありますが、それらが今後どんな点へ向かっていくのか・・・。失うものがなくなってしまったら、結構気楽にチャレンジできてます。今後の展開が楽しみです!!

 

④雑談の時間

「趣味が変わった」

上記のように色々ありましたら、自分の頭じゃ処理できないんですよね。ドクター含め沢山の人を頼り、本に頼り(狂ったように50冊ぐらい一気に読みました。)していると、結構思考回路も変わっていきまして。

趣味も変わってしまったんですね。しょーもない話、服の趣味まで!笑

そうなると、今まで着てたものがいらなくて、誰かにあげたり売ったりしています。中でもストーン・アイランの服を何着か手放したときだけは、結構センチになりました。笑 学生の頃になけなしの金で買い、今まで大切に着てたので、、、。

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「寒かったあの日も暖めてくれたなあ」と。服にも感情移入してしまいますよね。笑 思い入れがあるものが無くなってしまうとき、なんとも言えない寂しさがあります。車を手放すときもそうでした。そういう自分、素敵やん?